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2017年7月

金星の叡智・完 共鳴する鐘

鞍馬山に行ったときのこと。

私たちは、本殿から魔王殿に向かう途中の道で、

なぜか分からないけど、道を間違えたと錯覚した。

それでちょっと道を戻り、
目についた細い上り坂の道へと入った。
途中でこの道じゃなかったと思ったけど、
取りあえず登り切ったら、そこには鐘があった。

鐘を見ていたら、ワクワクしてきた。
誰でも自由についてもよさそうだったので、ついてみた。

ついてみたら、ふっと、震動している鐘の下に入ってみたくなった。

Tくんについてもらって、鐘の下に入った。

とても気持ちが良かった。

その震動で、私の波も整った気がした。

おかげでその日は、
富山から日帰り弾丸ドライブ+その日山道を含めて
炎天下で、5~6キロ以上を歩いたと思うが、
あまり疲れを感じなかった。
そしてその鐘効果なのかも分からないが、
金星からのメッセージを受け取った。


「私たちは鐘みたいなものです。

宇宙に共鳴して鳴る鐘なのです。

本来の自分の声とは、
宇宙と共鳴して鳴る、その音のことなのです。

本来の自分が鳴らしたその音は、
静かに深くどこまでも、響いていきます。

その音には、他を共振させる力があるのです。

そして、どの鐘も、その鐘にしかない響きを持っています。

それぞれが本当にユニークな響きを持っています。

本当にそうなのです。

どの鐘も、他には真似できない音の響きを持っています。

そのことが本当に理解できたら、
他を尊重し、他と響き合うことができるようになります。

その響き合いこそが、喜びなのです。

私たちは、その響き合いを通して、宇宙を立体的に知覚していくのです」。


私はやはり、そのような本物の交流がしたいなと思う。

でもそれは、外を変えようとすることではなく、
(その外は「自分が見ている」外なのだから)
あくまで、自分の内側に調和をもたらしていくことで
現実化していくんだろうなと思っている。

金星は素晴らしいメッセージを伝えてくれた。

そしてそのメッセージを自分の中に落とし込んでアウトプットする作業の中で、
私は思ったより前から、知らず知らず、金星の導きを受けていたのかなと思った。

導かれていたのに、私が今まで認識しようとしていなかっただけなのである。

なぜかというと、恥ずかしながら、金星なんてと思っていたからだ。

私は生意気にもずっと、
太陽系の外の、もっと高次元のものに気持ちがいっていたのである。

でも高次元を目指すということは、よく考えると
偏差値や順位を価値観とする物質的な世界と、全く変わらない。

そういう高い低いとか、いい悪いとか、
2元性のジャッジのない在り方を、金星は教えてくれている。

高波動な、高次元なものを追い求め出すと、きりがないというのが、
今までスピリチュアルな世界を垣間見てきて感じることの1つである。

次元は無限にある。
作りとして、どこまでいっても無限に終わりに行き着かないようにできているようだ。

高次元のほうがいいとなって、より高いもの、より高いものと目指しだすと、
どこまでいっても目的地に行きつかない状態に陥ってしまう。

本当は、次元上昇を目的にするのではなくて、
次元がない、「おおもとの世界」を認識しながら、
今いる次元を味わっていくことが、
(もしそれが必要であれば)次元上昇につながるのかもしれないし、
悟りにもつながっていくのだろうと、今の私は思っている。

そして多分、どの次元にいたって、
その「おおもと」にはアクセスが可能なのである。

だからどの次元にいても、いいのだ。
どこを目指さなくても、いいのだ。

自分の場所にいて、日常を生き、
その中でありのままを感じて生きていけば、
自分の本当の声を聴き、宇宙と共鳴するようになることは、可能なのである。

そんなふうに思えるようになってきたから、
きっと金星の素晴らしさにも気付けたのだと思う。

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金星の叡智 自分の声を聴く3つのポイント

どうやったら自分の声につながることができるのか、
そのポイントを3つにまとめてみた。

①素直に感じることを、取り戻す

自分の声を感じ取るのも、
何かビジョンを見たり、目に見えない存在と交流するのも、
「感じる」ということがベースになる。

この「感じる」が、最も必要な能力、ツールになってくる。

のびのびと自由にくつろいで「感じる」ことが大切で、
そうしていると、感受性はより育っていく。

感じるは、感情とも密接につながっているものである。

自分がどう感じるかということを抑圧してきた場合には、
その感じることが開発されていない場合がある。

大抵は、普通に生まれ育ち、
自分以外の他人=親とか教師とか仲間とか出会う人たちみんな=社会と接する中で、
自分の感情を抑圧してきている場合がほとんどだと思う。

もしくは、過去の感じ方が積み重なり、がんじがらめになって
本来の感じ方から大きく外れてしまっている場合もある。

過去生で似たような感じ方ばかりしてきていると、
そういう感じ方が「その人の世界」になっていて、
そこを超えていけなくなっていることがある。

だからまずは、「感じる」ということを、リリースすることが大切になってくる。

「素直に感じるって、一体どういうことだったっけ」ということを
思い出す必要があるのだ。

それには、
まずは自分が「受容器である」ということを認識することだ。

日々日常を過ごす中で、
いろんな出来事がやってくる。
いろんな人がいろんなことをしたり、言ったりしてくれる。

それを「自分がどう感じるか」ということにスポットを当てて、素直に見る。

そこで、ああ、自分が受容器として、今はこうなんだなと気付くことが大事なのである。

つまり、それは意識のベクトルを内側に向けるということで、

そこで、「なんでこの人はこうなんだろう」とか「こうしてくれないんだろう」とか
思いだすと、それは外側に意識のベクトルを向けたことになる。

そうではなくて、
相手は自分の内側の世界にあるものを刺激して、
引っ張り出すきっかけ作りをやってくれているだけの話なので、
いい機会なので、その引っ張り出されたものに、ただ気付くのである。

そのとき大事なのは、ジャッジしないことかと思う。

自分を責めたりしない。

感じることに、いいも悪いもない。

その時、自分がそう感じているという事実があるだけである。

つまりハートの中で、それをありのままに感じるということである。
ただ感じていると、その奥に隠れていたもっと大きな感情が出てきたりもする。

それも判断せずに味わう。

どんな感情も、抑圧せずに味わう。
他にぶつけたりせずに、1人になって味わうといい。
怒りたかったら怒ればいいし、泣きたかったら心ゆくまで泣けばいい。

そうするとその感情はするすると消えていく。
(本来感情は流れて消えていくものである)

そのときに置き土産みたいに、その感情が含んでいた気付き、
自分にとって大事な気付きを残していってくれる。

それを糧に、次の学びへまた向かっていく。

自分の声を聴くというのは、そういうことの繰り返しだと思うのだ。


外の世界と触れあって、
引っ張り出されてくるものに、ただ気付いて、味わっていく。

そうすると、
自分は世界をありのままに感じていたのではなかったのだなということ、
自分はただ自分の内側を見ていただけなのだなということにも、
気が付いてくる。

その「見ていた自分の内側」というのは、
本当のことをいうと、本来の自分自身ではない。

ただ過去に、何を見てどう感じてきたかというのがたまったものである。

それはその人の個性ではない。
個性とは、そのたまっていたものが流れていったときに現れてくる
本質である。


日常の中で、意識のベクトルを自分側に向けて、
ただ判断せずに感じて流していくだけで、
本当の自分ではない、不自然な感じ方のくせみたいなものから
自由になっていくことができる。

自分の中にあった不自然な感じ方を手放し、
また、恐れずに自由に感じるということもできるようになっていくのである。

それが深まっていけば、
より本質に近い自分の声を聴くようになり、
またそれに見合った存在たちとの交流も始まっていく。


②今にいること

また、ありのままを感じるのに大事なことは、「今にいる」ことである。

料理をしているなら、料理をしている、
仕事をしているなら、仕事をしている、
その時感じることに意識を置いていること。

考えることに、
例えば、手順や段取りを考えることに夢中になっていると、
今にいることを忘れている。

今やっていることを「片付けよう」として、
次、次、次となっていると
今にいることを忘れている。


③自分にうそをつかないこと

日々自分が感じていること、していることは、
本当に自分の声によるものだろうかということを見てみることも大事かもしれない。

自分の声にもいろいろあって、
外の誰かが言ったことを自分の声と思い込んでいる場合もある。
外の誰かが言ったことに反応して出来上がった自分の声もある。

それは、
こう感じなくてはいけない、とか、これは間違っているとか、
普通はこうするものだとか、こうしないと非難されるとか、
そういう思いから来ているものかもしれない。

そういう声は、フェイクである。

本当の自分の声は、喜びに基づいた、宇宙と直結した声である。

本当の自分の声を受けとることが増えれば増えるほど、
フェイクの声は消えていく。


また、自分にうそをつかない、に関連していうと、
ポジティブシンキングは自分にうそをつくことにつながることがある。

なぜなら、本当はそうは感じていないのに、
無理やり、感じていることをねじ曲げて抑圧しようとすることだからである。

ありのままに感じることに、ふたをすることだからである。

それよりも、
ポジティブになれないなら、なれないその気持ちを、
ありのままに感じるほうがいい。

ネガティブな感情は、
もちろん本質の自分の声ではない。

でも、認めて受け容れなければ、意識化に残り続け、
ことあるごとに出てくる。

そういうものは、認めると消えていくけれども、
そのときには自分にとって大事な気付きを残していってくれる、
一つ一つが価値あるものでもある。

そういう意味では、
良くないものだから認めて消さなければならない、ではなく、
自分にとって大事なことに気付かせてくれるためにそこにいるのだから、
それに気付けば、自然と消えていくのである。

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金星の叡智 自分の声を聴く

これもまた、鞍馬山に行く少し前のことだった。
ある日の夕方、くつろいでいた私は、ふと鍼がしたいなあと思った。

私は以前、鍼灸師をしていた。

でも実は、自分自身が鍼を受けるのは、あまり好きではない。

けれども、その日は、自分自身に鍼をしたいと、
そして自分自身の鍼の施術を受けたいと、そう感じたのだった。

その自分自身への鍼の施術は、
自然と、自分の内側から湧き起こる声に従ったものになり、
する側としても、そして、受ける側としても、とても喜びを感じるものとなった。

習った知識は使わなかった。
ただただ、自分の感覚に従って、施術した。

それは、まるで深い海の底で沈黙を味わっているような、
瞑想のようなひとときだった。

体は静かに横たわっていたが、内部では、
エネルギーが大きくダイナミックに動いていることが感じ取れた。

そして、施術が終わった後には、
驚いたことに、幸せな気持ちが、わーっと湧き起こってきた。

もう、とにかく幸せでどうしようもなく、
私は、しばらくの間、涙が流れるままに、
じっと、ただそれを味わっていた。

ああ、たった1本の鍼で、こんなにも変化が起こるんだと思った。

でも、こんな体験ができたのは、
鍼だから、鍼がすごいから、なのではないと思う。

自分が、生で、直に、宇宙と交流ができたから、なのだ。

深いところの自分と交流ができたから、と言ってもいいかもしれない。

それがとても幸せな感覚をもたらしたのだと思う。

だから、何をしているかということよりも、
何をしているにせよ、その交流が起こっているかどうか、が大事なのだと思う。

そして、その宇宙との交流、深い部分の自分との交流には、
「自分の声を聴くこと」が大切なんだと、
この鍼の体験は教えてくれた。

私もたくさん治療の勉強をしてきた。
優れたメソッドがあると聞けば、それをマスターすれば、
私もそのような治療ができるようになると思っていた。

でも、結局大事なのは、誰かの型をマスターすることではなかったのだなと
今になってみれば、思う。

私が、私の最善の治療をするには、
「自分の声を聴くこと」、そして「その自分の声を信頼すること」が必要だったのだ。

これはもちろん、治療の話だけではない。

自分の声につながったなら、
その声が一番、自分にとって必要なことを知っている。

それは誰にとっても、そうなのだ。

ではどうやったら、自分自身の声につながることができるのだろう。

次回からは、少しそのことについて、書いてみようと思っている。

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