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ラティハン②

ラティハンとは、簡単に言ってしまえば、
リラックスして、体が動くに任せることである。

宇宙が、または高位の自分が、存在が、自分を動かすことを受け容れることである。

例えば、自動書記なんかもラティハンといえるようだ。

また私は以前、野口整体の自働運動というのをやっていたので、
あ、よく考えたら、もうラティハンやってたんじゃん、と思った。

ただし、自働運動は、
体の使い方の偏りを解消するというようなことも含め、
潜在意識の中にあるひずみとかを解消、浄化するという意味合いが、
まず強いのかなと思う。(私の解釈です。)

ラティハンにももちろんそういう意味があるのだけれど、
そこからさらに進んで、ラティハンの動きを通して、
高位の自分が、神さまがこの肉体を動かす、というところまでいく可能性がある。

動きも私の知ってる限り、自働運動では
皆、体を揺さぶるとか、腕や足がどたばた動くという感じだったけど、
ラティハンでは、精妙な舞みたいな動きも出てくる。
無意識の統制されてない動きから、高位のものとつながって、
美というものが出てくるような感じがある。
そして歓びもある。

この前の旅行から帰ってきた後ぐらいから、ラティハンが始まった。

ラティハンと検索するとあるように、
オープナー(ラティハン経験者)がその場にいると、
最初に行う時、動きが出やすいとか、
また複数で行うと相乗効果が起こりやすいというのは、確かにそうだろうけど、
それは絶対条件ではない、と思う。

むしろ、場に枠とか決まりごとみたいなものがあるとすれば、
自由な歓びあるラティハンにならないだろうなという気がする。

最も大事なのは、リラックスしていることかなと思う。

信頼して、受容してる状態であること。

それがあれば、1人でも、初めてでもいけると思う。

動きが起こるとき、
肉体の自分が動かしてもいけないのだけれど、
でも起こってきた動きに乗っていく必要はある。
自分が内部で拒絶や抵抗をしていると、動かない。

起こってくる動きに受容的である必要がある。

つまりラティハンとは、
自分が行動するのではなく、
行為に身を任せるという機会を、
日常よりもより意識的に持つ場といえるのではないかと思う。

このパイプが太くなっていったときに、
日常がラティハンであり、マハムドラーになっていくのかな?と
思いつつ、やっている。

最初のうち何回かは、加減がつかめなくて
終わった後には浄化が起こって寝込んでいた。
体のことだけではなく、よく分からない層で、強烈な浄化が起こってるみたいだった。

ただこれも、
ラティハンをやって普通に起こることかといえばそうではなく、
私が割ととことんまでいく性質なので、起こったことだろうと思う。


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