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ラティハン⑤ 祝祭

多分、ラティハンに何か効果があるとすればそれは、
毎日が祝祭になってくるということではないかと思う。

祝祭とは、全てに満ち足り、全てが完璧であることに喜び、祝うことである。

ラティハンをやっていると、結構それが可能なのかもしれないということが、分かってくる。

といっても、日常が満ち足りているから、祝祭になるのではない。

現実は、過去いろいろな形で設定してきたものが実現しているすがたである。

言ってみれば、すでに収録されたものが放映されていっている、
そこをのぞき込んでどうのこうの言っても、そこに手を加えることはできない。
TV番組を見ながら文句言ったって、番組内容が変わらないのと一緒である。

全てが完璧だと思うとき、私は現実にはいない。

もちろん肉体が消失するとか、どこかの次元にテレポーテーションするとか
そういうことではなくて、肉体は現実にいながらにして、意識が、
いいとか、悪いとか、そういった二元性のものを超えて、
違う次元に、全てが完璧であるという場所に、戻っているのを感じる。

そのとき、現実がどうであるかということは、全く干渉してこない。
無関係なのである。

問題があるという前提で存在してきたから、
問題があるような現実になっていただけで、

全てが完璧であるという気づきに戻れば、
そもそも問題がなかったということに気付く。

そこでは、問いに対する答えが出るのではなく、
そもそも、問いそのものがありえなかったということに、気付くのである。

もし、現実が変わる必要があるとするならば、
そういう次元に立ったとき、初めて本当の意味で、
現実が大きく変わっていくのではないかと思う。

現実が無関係となったときにはもう、
現実を変えたいという思いは、なくなっていたりするのだけれども。

OSHOはこんなふうに書いている。

『どこかに目的地がある
いまのこの瞬間はただの手段に過ぎない
そして目的地がどこかほかに
ひとつ到達されるべきものとしてある
これがあなたのエネルギーのひとつの次元だ

これは<行動>の次元
目標志向だ

そのとき、あらゆるものは手段になってしまう
なんとしてでも、そのことは成されなくてはならず
あなたは目標に到達しなくてはならない
そうしてはじめてリラックスする

ところがこの手のエネルギーにとって
その目的地は絶対に来ない
なぜならこの種のエネルギーは
あらゆる現瞬間を
何か未来に向かう他のことのための一手段へと
転化し続けるものだからだ

その目的地はいつまでたっても地平線上にある
あなたは走り続ける
だが、その距離は同じままだ・・・

・・・目標志向人間
彼らは狂人だ
彼らはだんだんと狂ってゆく

それも彼らは自分で自分の狂気をつくり出してゆく
そうするとその狂気は、それ自体の慣性を持つことになって
段々と彼らはそれに深くのめり込んでゆく
そうやって彼らは、完全に道に迷ってしまう・・・

違う!
もうひとつ別な次元のエネルギーがある
それは動機付けされざるお祝いという次元だ
その目的地は<いま>と<ここ>だ。

どこかほかにある場所じゃない
実際にはあなたが目的地なのだ!
実際にはこの瞬間よりほかに、どんな完成もない

あなたが目的地であって
ゴールが未来になく
到達されるべき何ものもなく
むしろあなたはただそれを祝うべきのみであり
あなたはすでに到達している

それがもうある、というとき
それがリラックスだ
動機づけされないエネルギー・・・


・・・そして私があなた方に教えているのもこれだ
祝祭者でいること
祝うのだ
すでにもう too muchなのだ

花たちは開いた
鳥たちは歌っている
太陽が空にはある
それを祝うのだ

その上、あなたは息をし、生きている
そしてあなたは意識を持っている
それを祝うのだ

そうすると突然、知らない間に
あなたはリラックスする
もうそこにはどんな緊張もない
もうそこには何の苦痛もない
苦痛になるはずのエネルギーが全部感謝になる
あなたのハート全体が深い感謝で脈打ち続ける

それが祈りだ
それこそが祈りのすべてだ
深い感謝に脈打つハート・・・

子どもが踊りはね、そして走り回る
その子に「君はどこに行くんだい?」と聞いてごらん
彼はどこに行こうとしているんでもない

彼にはあなたがバカみたいに見えるだろう
子どもたちは、いつも大人はバカだと思っているものだ
何というナンセンスな質問だろう
「君はどこへ行くんだい?」なんて
いったいどこかに行かなくちゃいけない必要なんてあるのかね?

すると目標志向の心は問いつめる
「それならなんで君は走ってるんだい?」

私はあなた方に言っておこう、
行くところなんかどこにもない、とね
<ここ>がすべてだ
全存在はこの瞬間において絶頂に達しているのだ
それはこの瞬間の一点に集中しているのだ

全存在は既に
この瞬間の中に流れ込みつつあるのだ
<在るところのすべて>はこの瞬間に流れ込んでいるのだ
<いま>と<ここ>

子どもはただただそのエネルギーを楽しんでいる
彼はありあまるものを持っているのだ
彼は走る
どこかに行きつかなくてはならないからではなく
ありあまるものを持っているがために
彼は走らずにいられない・・・』


毎日が祝祭。

喜びでそうせずにはいられない、
そんなふうに行為が起こってゆく中で、生きていくということ。

そのような祝祭仲間が、増えていくといいなと思っている。

お互いが思い思いに、それぞれの場所で、
自分の感覚を大事に、毎日を祝祭して生きる。

そして、見えないところで喜びでつながっている。

そんなふうにして。

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