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2016年12月

イン・ラケッチ2016年12月号

イン・ラケッチ12月号、更新しました。

よろしければ。。

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ナジャ現る。

よし、魔法使いになろう、と思い、私がまずしたのは、
「なります」、と思うことだった。
まず何事も、宇宙に対して意思表示することが大事である。

それで、つので魔法の世界を探求しに行ったら、
そこである存在と知り合った。

ナジャという名前みたいだった。

このナジャが魔法のことを教えてくれるみたいだった。

私は、これまで、自分の知りたいことを知るため、
もしくはなりたい自分になるため、
散々、お金をかけて勉強しに行ったり、
遠い所に行ったり、修行みたいなこともしたりしてきた。

それを得るためなら、
地の果てまでも行きまっせ!みたいな勢いと気合いに満ちあふれていた。

そしてそれは、楽しかったし、面白かったんだけど、
もう、いいかなと思っている。

これからは必要なことは、もうどこかそう遠くに行って習わずとも、
できるようになるだろうと確信しているし、
基本的には、今いる場所に、それはある、と思っている。

さんざん動き回って、年取ってきて、
横着になってきただけかもしれないけど(笑)。

ともかく、私は目的にかなった先生を獲得したようだった。

もし、私みたいな感じ方、見え方をしないとしても、
プロセスは一緒だと思う。

こうしたいです、これが知りたいですと、宇宙に投げかけたら、
宇宙は、ちゃんとその人に合った方法で、
その人が気付く形で、答えを次々に投げ続けてくれる。

教師のような人が目の前に現れるかもしれないし、
どこかで見かける何かかが、インスパイアを与えてくれるかもしれないし、
誰かが何気なく放った言葉が、はっとするような気付きをもたらしてくれるかもしれない。

あとは、アンテナを巡らせて、
それをうまくキャッチできるかどうか。

それが宇宙との問答、交流の面白いところであり、
自分ならではの、腕の見せ所である、と私は思っている。

宇宙は、細部に渡って密であり、
同時にどこまでも全方向に大きいから、
自分を確信するために、
左手に右手のことを知らせるみたいにして、
そうやって自分が自分と遊んでいるのかもしれない。

翌朝、私は日課であるジョギングをしていた。
(ちょっと前に流行っていたスロージョギング。すごい楽しい。)

いつも、見えない世界の人たちって、
そういう頭が空になる時間を狙って、
コミュニケーションをはかってくるんだなと思うけど、
そのときもそうだった。

走っていると、周りの山々が、
うっすらと雪で薄化粧したみたいに白くなっていた。

ああ、美しいなぁとうっとりした。

そして、ちょうど日が昇りかけていた東の方向の空を見ると、
それはそれは美しい色彩を帯びていた。

うすーいピンクと、そして淡いブルーとが交互に、
ブルー、ピンク、ブルー、ピンク、というふうに美しいグラデーションになっていたのだ。

まるで明け方の虹、みたいな感じだった。

それを見て感動していたとき、
ナジャからのメッセージが、ぽんと飛び込んできた。


「そう、まずは、今ここの素晴らしさに感動することが大事だよ。

だから、今ここにあるものを否定しては駄目だよ。

まずは、今ここにあるものと調和して、その全部を使っていくこと、

それが魔法なんだよ」


さらに、料理をしているときにも、こんなメッセージを受け取った。

最近の私は、結構、頭の中で段取りしながら、
いかに要領良く、速く作るか、みたいなことを考えて
料理しがちだったのだけど、

ナジャからは、
「料理一つ一つの材料にも、精霊がいるんだよ、
そういう存在たちと交流をしながら作ることが、魔法につながっていくよ」と言われた。

また、「頭の中で段取りにするのは、今じゃなくて、
頭の中が先のことになってしまっているから、そうではなくて、
常に今ここ、に意識があることが大切だよ。
自分が今、何をしているか、ということに意識的になるといいよ」とも。

確かにそうだなと思った。
ナジャが指摘してくれることは、
どれも頭で知識としては知っているけど、忘れがちなことだった。

料理しながら、一つ一つの材料の精霊を意識するのは、結構面白い。

鶏肉を切ってたら、
鶏の精(なのか?)が出てきて、
「コケコッコー」と鳴いたりする。(シュールだ)。

また最近、朝ココアを作って飲むのがマイブームなんだけど、
作っていたら、ココアの精が出てきた。(ちゃんとココア色だった。)

ココアの精は、結構ファンシーな感じで、
「おいしくな~れ☆彡」とスティックのようなものを振ってくれた。
それがツボにはまって、大爆笑した。

まあそんな感じで、楽しくやっている。

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魔法の再生

ある日、私は、魔法使いになろう、と思った(爆)。

きっかけは、
つい2週間ほど前に観に行った、
「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」である。
何だか訳もなく、無性に、魔法の世界にどっぷり浸りたくなって観に行った。

観ているうちに、3Dの臨場感もあって、すっかり魔法の世界に引き込まれてしまった。

魔法動物たちは、それぞれがとても美しく生き生きとしていたし、
出てくる魔法は、どれも鮮やかだった。

私は、映画を観ながら、
こういう魔法世界は、実際にあった(あるいはある)と確信していたし、
私自身もそういう中に身を置いていたことを、感覚的に思い出していた。
それは、ありえない空想の夢の中でうっとりするような感覚ではなかった。

私は、もし心に翼みたいなものがあるとすれば、
本当に何も妨げられるものがないくらいに、
その翼を大きく広げて、自由に飛び回るような気持ちで、映画を楽しんだ。

でも映画館を出たときに、ひしひしと、そしてひりひりと感じ取ったのは、
今の地球のこの現実、映画の中の世界との落差だった。

主人公の恋人になる女性の妹が、魔法を使って料理をする場面がある。

それはとても優雅なシーンだった。

私の知っている魔法は、スイッチをぽんと押したら、
洗濯機が勝手に洗濯するみたいな、
面倒くさいから、代わりにやっておいて、みたいなものではなかった。

全体への大いなる信頼と、料理であれば、料理する個々の材料への、
敬意とか、愛情とか、そういうものが一体となった、調和の行為だった。

魔法を使うことは、宇宙からもらった力を使うことであり、
能力を使いこなすことであり、神聖な、そして誇り高きことだった。

それは全てのものとの共同創造であり、美の表現でもあった。


映画の最後には、破壊された街を、魔法使いたちが、杖を振って、
次々に再生していく。

一瞬後に、崩れたビルが、映像を巻き戻すみたいに、
元あった状態に戻っていく。

こういうことも、本当は可能だった。

地球でも可能だった。
物質は今みたいに強固な思いでガチガチに固まったものではなかった。

波のように緩やかに、その姿かたちを変化させられ得るものだった。


映画の中で見た魔法は、
例えば、エネルギーワーク中に見るイメージそのものではある。

でも、ワークの中で、エネルギーの世界ではそうなっても、
それが3次元の中で現実化していくのって、
やはり、なかなか難しかったりする。

本当にいろんな人がいて、いろんなふうに感じている中、
抵抗があれば、変化は阻まれるし、
こんなことが起こるはずがないという、集合無意識の厚い壁もあったりする。

私は、地球でずっと、
その壁の難しさと、それに対する無力感みたいものを感じ続けているような気がする。


映画が終わり、夢から覚めたように映画館を出て、
今の地球に、魔法が表現しているような、
美と調和と愛がどれほどあるのだろうか、
と思ったときに、しゅーっと力が抜けてしまったのだった。

あの映画を観て、こんなふうに落ち込むなんて、
恐らく、全世界で私だけかもしれない(笑)。

理想と現実のギャップだった。


そんなこんなだったとき、転機が訪れた。

千春さんのワークショップがあり、
T君にもイルサルのつのがついたのである。

ワークショップから日帰りで帰ってきたT君に接していて、
私は驚いた。

ガイドとか誘導なしに、
パートナーとのワークの中でつのを使って、
ごく自然にいろいろなビジョンを見てきたことにも、
すごいな、良かったなと思ったは思ったのだけど、

何より、
T君の持っていた世界みたいなものが、がらっと変化したように
感じられたのだ。

何か切り離されていたものとしっかりつながったのだろうか、
それによって、今まで見えなかった
宇宙的なバックボーンがはっきりしたというか、
その世界が大きく広がったというか、うまく言えないけど、
背景みたいなものが、しっかりとたくましくなって、そして豊かになって帰ってきた。

実のところ、今までは隣りにいても、
この人今、どこにいるんだろう?と思うことがしばしばあった。

手の届かない、
孤独な切り離された自分の世界の中だけにいるみたいに感じられることがあった。

私は、そういう所は、多分、もう変わらないのだろうなと思っていた。

でも、今回つのをつけて帰ってきて、そういう部分が大きく変化したのだ。
まさかそんなふうに変化して帰ってくるとは、思わなかった。

1人の人の世界が、
私にとっては、そう感じられる、ということだけれど、
こんなふうにがらっと変わるのを目の当たりにして、
しかも、私にとっては、きっともう変わることはないだろうと思って見ていたものが、
たった1日で、進化・変化を遂げたのを見て、
多分、私は深い所から感動したのである。
世界は変わる、ということが、本当にあり得るのかもしれない、と思ったのである。

私も、今の地球で魔法使い、っていうのを、ちょっとやってみようか。

できるのかもしれない。

みたいな茶目っ気というか、ワクワクした感じが出てきた。

と言っても、私もまさか、あの映画に出てきたように、
瓦礫になったビルを、杖ひと振りで元通り、みたいなことは考えていないけど、
それでも、きっと今の地球ならではの魔法使いにはなれると、そう思えたのだった。

そして、やっぱり誰かの世界がそうやってより良く変化すると、
必ず自然に、周りの世界もまた、明るく変化していく、
そんなふうにつながっているんだなあ、と思ったことであった。

誰かが大きく変化したら、その変化は必ず周りに影響を及ぼす。

そうやって、みんながみんな、お互いに楽にしあっていきたいものである。

それもまた、魔法とも言える。

みんなで、より軽やかな世界へ。

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