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2016年9月

お菓子作り、パン作り

ここのところ、お菓子作りとか、パン作りにはまっている。

オーブンでお菓子作りとかしたいなーという気持ちが、
やっと、かなった。

そんなわけで、毎日いそいそと何かしら焼いている。

ちなみに本日は、くるみと全粒粉入りのスコーン↓

Scorn_2

これは、なかしましほさんのレシピによるもの。

一口かむごとに、ざくざくっとした触感が口の中に広がる。
中に入ったくるみが、ああ、秋だ~って感じ。

なかしましほさんのレシピは、昔からすごい好きだった。

まず、基本材料が、シンプルなところがよい。
(小麦粉と菜種油ときび砂糖と豆乳)

なかしまさんは、”ごはんのような”シリーズを出しているけど、
本当に、ご飯の代わりになっちゃう材料である。

私は、それまで、バターや卵とかをたっぷり使ったクッキーしか知らなかったから、
初めてなかしまさんのクッキーを焼いたときには、そのサクサクさと、
こんな材料で、こんなに美味しくなるんだということに、驚いた。

市販のお菓子もいいけれど、
なんだか、いくら食べてもというか、食べれば食べるほど、
何とな~く、心の中に虚しさが広がって行くような気がするときがある。

でも、なかしまさんのお菓子を食べると、
粉や油や、砂糖の本当の美味しさが味わえるような気がする。

そして、なんかあったかい慈しみ、みたいなもので、満たされていく気がするのだ。

このハートが満たされる感じが、好きなんだろうな。

手早く手軽に作れることとか、
(今日のスコーンなんかは、材料計ってオーブンに入れるまで、
10分くらいでできた)
後片付けの洗いものがすごく楽、なんてことも気に入っている理由ではあるけれど。

なかしまさんは、本の中で、こんなふうに書いている。

「じゃあ、わたしの作るお菓子って、何だろう。
ひとことで言うと、『おやつ』なんです。
素朴で、かっこつけてなくて、強くなくて、ほっとするもの。
家でほうじ茶を飲み飲み食べるのが、いちばんしっくりくるお菓子たちなんです。」

こんなふうに、ごく自然体で、自分がしっくりくるものをこうやって形にして、
みんなに届けている、なかしまさんが素敵だなぁと思う。

なかしまさんの本には、先述したように、
まいにち食べたい”ごはんのような”シリーズがあって、
私は、そのうちの、「クッキーとビスケット」の本と、
「ケーキとマフィンの本」を愛用している。
その中には、バターや生クリームを使わないタルトのレシピもあり、
あのざくざくっとした生地で作ったタルトは、もう絶対に間違いなく美味しいと思う。
そのうち、タルト型を買って作るのを楽しみにしている。


そして最近焼き出したのが、食パン。

発酵時間を自由にコントロールでき、

なおかつ、一切、こねなくていいという、そんな夢のような方法があるに違いない、
と探していたら、ちゃんとあった。

藤田千秋さんの
「ボウルひとつでこねずにできる本格パン」である。
生地を叩きつけたり、パンチしたりせずに、いい感じの山形パンが焼ける。

生地を混ぜ合わせてからノンストップで作業工程を進めていくこともできるけど、
混ぜ合わせて、一次発酵させた後に、冷蔵庫で寝かしたり、
混ぜ合わせ後に、冷蔵庫で寝かして、その後一次発酵させたりと、
めちゃくちゃ融通がきく、自分の時間がパン作りにしばられないところが気に入っている。
しかも、冷蔵庫で寝かせたほうが、生地がしっとりと伸びの良い感じになる。

成形も、普通は2分割とか3分割して、
生地がいたむから、ベンチタイムとかするわけだけど、
これは、豪快に、型の大きさに合わせて棒状に折り込むだけ。

実質、生地に関わるのは、計量も入れて、トータルで10分とか、15分じゃないだろうか。

後は、発酵させたり、寝かせておくだけ。

そんなふうにして焼き上がったパンが、こちら↓

Bread_2

この方式で、バゲットも作った。

クープナイフなんて持ってないから、
手持ちのカッターナイフで適当に切れ目を入れたら、
案の定というか、クープは全然開かずに、
ちょっとした、ただのへこみみたいになったけど、
でも、味は、ちゃんとバゲットだった。

パン作りは、発酵した生地を目にするときが一番楽しい。

ぷくーっと赤ちゃんのほっぺたみたいに、ほわほわふくらんでいるのを見ると、
もう、ほえ~っとなる。

うわー愛しい、って感じ。

オーブンの窓越しに、少しずつパンが色づいていくのを見ていると、
ただの小麦粉が、水や砂糖やイーストやちょっとの油を加えるだけで、
こんなふうになって、あんなふうになって、最終的に、パンの形になる、
っていうことが、すごい不思議だなと思ってしまう。

私がやっているのは、ただ、
材料を混ぜたり、生地をあっちからこっちに移動させたりしているだけのことなのである。

小麦粉が、パンになる。
これだって、立派なアルケミー(錬金術)じゃないかと思ってしまう。

パンや、ケーキや、マフィンや、スコーン、クッキー、
点心や、うどん、ラーメンにピザ、
小麦粉の化けっぷりには、本当に驚いてしまう。

小麦粉を使って、何かを作る、

私にとっては、こういうのも、心から楽しめる「交流」の一つなんだなと思う。
小麦粉で何かを作っては、ムフムフする、そんな日々は、まだまだ続きそうだ。

日常は、アルケミーでいっぱいだ。

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ただ喜んでいること

市内のスキー場で、コスモスが見ごろということなので行ってきた。

コスモスが咲き乱れているスペースのその脇に、ドッグランがあって、
何となく、その中を眺めていたときのことである。

ちょうど、そのドッグランに一匹の柴犬が連れられて入ってきた。

その犬は、飼い主に連れられて、てけてけと、おとなしく歩いていた。
が、飼い主にリードを外されると、
うってかわって、まるで、はじかれたように駆け出したのである。

私たちは、その走りに、すっかり目が釘付けになってしまった。

前脚がグン!と力強く地面を蹴り出す。

その瞬間、空に勢いよく飛び出す犬の体は、
まるで何も怖いものがないみたいに、
一つのかたまりとなって、全てを空中に委ね、空と一つになっている。

そこから、後ろ足が素早く的確に着地をすると、
また力強い、前脚の蹴り出しが始まる。

その連続した動作が、目にもとまらぬ速さで次から次へと滑らかに繰り出されていた。
犬は、もう、とにかく、嬉しくて嬉しくて、たまらない、という様子で、
ものすごい勢いでフィールドを駆けまわっている。
その動作のすみずみに、喜びがほとばしり、あふれ出していた。

いや、喜びが、犬を動かしていたといってもいいかもしれない。

いつの間にか、見ていた私たちも、喜びでいっぱいになっていた。

思うままにのびのびと駆け、空や大地や、風と一体になった犬のその喜びを、
私たちも味わい、まるで自分も駆けまわったかのような解放感や、
自由自在感を感じ、活力を与えられていたのである。

誰かが、掛け値なしに、思う存分、のびのびと喜んでいる、
そんなところに、出会うことができるというのは、本当に素晴らしいことである。

誰かの本当の喜びは、何もしなくても、自然と、違う誰かの喜びに火をつけてしまう。

だから、ただただ、自分を本当に喜ばせていたら、いい。

改めて、そう感じさせてくれた出来事だった。

もし、誰もが、あの犬が走っていたときみたいに、
のびのびと、疑いもせず、信じきって、委ねきって、
制限なく、自由自在に、喜びのままに、
まるで気持ちのいい芝生の上で、大きく深呼吸しながら、
うーんと楽に手足を伸ばすみたいに、
自分の力を発揮することができたら、
地球は、本当に、生き生きした素晴らしい星になるだろうなと思う。

でも、きっと、もう、なりつつあるのだろうな。

今の私は、何だかそう思えるのだ。

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喜びから人生を生きる!を読んで⑥

アニータがこの本に書いたことを、今の私が、
全くその通りと感じるか、言っている意味を本当に深く理解しているか、
といわれれば、そうではない。

でも、これからの人生で、それが本当かどうか確かめてみたい、と思うようになった。

このシリーズを書いていて気が付いたのは、自分の中に、
自分自身、自分の声に従って、その喜びのまま生きてみたいという気持ちと、
そんなことをして本当にいいのだろうか、という疑問と、相反するものが、
自分の中にあったことだった。

みんながそんな好き勝手なことをしたら、世界は、それこそめちゃくちゃなことに
なるのではないだろうか。

苦しんでいる人もたくさんいるというのに、自分だけ楽しく喜んでいて、いいのだろうか。

そういう人を支えようと、苦しんでいる人もいるというのに。

だから、喜びから生きたいと思いつつも、
自分を全部開いて、その方向にシフトしていくということができずにいたのだと気付いた。

そして、そういう思いは、以前から自分の中にあり、
それが、これまでの人生においてだけではなく、過去世も含め、
自分を駆り立ててきたということにも気づいた。

自分勝手なことをして、自分を喜ばせてはいけない。

苦しんでいる人を、助ける側に回らなければいけない。

苦しんでいる人がいる限りは、自分も幸せになってはいけない。

そういう気持ちが、縛りや制限になって、私の人生が選択されていった気がする。


でも、愛に満たされている人が、心から自分が喜ぶことを行うとき、
状況を乱したり、調和を乱したりするだろうか。

依存症のように過剰に何かを求めるのも、
犯罪を犯して、他から奪ったり、傷つけたりするのも、
愛で満たされていないからこそ、起こるのではないだろうか。

苦しんでいる人を支えようと苦しむことが、本当に苦しみを減らすのだろうか。

もし誰もがただ自分に素直になり、満たされていたら、
本当は、苦しみなどないのではないだろうか。

そして、本当に、苦しみというものをなくしていくには、
一人ひとりが、本当に喜ぶことしか、ないのではないだろうか。

また、その際には、
一人ひとりがそれぞれに、自分の声を聴くということが大事なのだと思う。
一人ひとりが、自分の主人になること、それが大事なのだ。

私は、これからまず、
自分を喜ばせること、自分を大切にするということを、
縛りなく、制限なく、本気でやってみよう、そう思っている。

実際にやってみて、どうなるか。

本当のことが知りたい。

実際のところ、私がこうやって生きているのは、
宇宙がなぜ、何のために、どのように存在しているのか、
なぜ、私は、私という意識を持って存在しているのか、
その本当のところが知りたいからなのだ。


この本の最後の部分にあったメッセージを最後に、
この本の紹介を終わろうと思う。

「あなたのあらゆる部分、つまりエゴも知性も体もスピリットも、
すべてが素晴らしいことを知ってほしいと思います。
あなたは、この宇宙の創造における美しい産物なのです。
あなたのあらゆる面が完璧です。手放すべきものは何もありません。
許すべきものも、達成すべきものもありません。
あなたはすでに必要とするものすべてなのです。
とても難しく聞こえるかもしれませんが、実は簡単なことです。

もし、ある宗教において、その神よりも自分は劣っていると思っているなら、
あなたは誤解をしているか、その宗教が真実をうまく教えていないということです。
もしグルや教師やマスターが、あなたはまだ悟っておらず、
そこに到達するために学び、解放し、手放す必要があると思わせているなら、
彼らはあなたの本当の姿をうまく教えていないか、
あるいはあなたが彼らを誤解しているのです。

あなたのそばにいる全ての人に、ありのままの自分でいることを
思い出させてください。そして、あなたは彼らのありのままを愛していると
言ってください。彼らは完璧で、あなた自身も完璧なのです。
愛に値しないものは何一つありません。
ほとんどの苦しみは劣っていると感じることから生じています。
あなたが誰かあるいは何かより劣っているということはありません。
あなたは完全なのです!

あなたが学ぶべき唯一のことは、自分はすでに到達したいと思っていたものに
なっているということです。恐れずに、自分の素晴らしさを思うままに表現してください。
それが、あなたのこの世にいる理由です。」

「自分のパワーを他人へ与えてしまわないようにすることを、
いつも覚えていてください。自分の素晴らしさともっとつながりましょう。
正しい道を見つけることに関しては、一人ひとりにとって異なる答えがあります。
私が知っている唯一の共通した答えは、自分を無条件に愛し、
恐れずにありのままの自分でいることです!
このことが、臨死体験中、私が学んだ一番大切なレッスンです。・・・

私たちが自分自身に正直でいれば、地球のための真の道具となれるのです。
私たちはみんなつながっているので、周囲の人たちの人生に触れ、
その人たちがまた他の人たちに影響を与えます。
私たちの義務は、愛の存在でいること、そして自分にとって適切な方法で
内側から答えを受け取ることだけなのです。」

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喜びから人生を生きる!を読んで⑤

みんなの悟りに向けて、
必要な働きかけをすること、必要なことを伝えること、
そのことが、私が生きる目的となっていた。

私は、ずっと、完璧さを生み出すために、
完璧さにたどり着くために、働きかけよう、伝えようとしていたのかもしれない。

そうではなく、
もうすでに完璧であるから、その完璧さが伝えられ、自分がその通り道になるのだということ。

いつの間にか、逆になってしまっていた。

伝えること、働きかけること自体が目的なのでは、なかった。

ということに、どこかで気が付いたから、
私は、その時自分が立っていた場所から、降りたのだと思う。

でも、それがゆえに、
私には、もう何の目的も、残されていないように思えた。

とても苦しかった。

アニータは、私たちが存在する目的について、こういっている。

「何かを達成するために、向こう側の世界から戻ってきたとは思っていません。
私はただ存在するために戻ってきたのです。
ですから、私の行いは全て愛から生まれています。
物事を正しくしようとか、規則や教えに従おうとか、もうまったく気にしていません。
私はただ自分の心に従っていて、そうしていれば間違うことはないと
わかっています。その結果、皮肉にも以前よりもっと多くの人を喜ばせるように
なりました。それは、私自身が前よりずっと幸せで、自由だからでしょう。」

「私たちは、自分自身の道を発見し、喜んで生きるために
ここにいるのだと理解することが、私たち一人ひとりにとって、
一番大切なことなのです。

物質世界と縁を切って二十年間山頂で瞑想しようが、
何千人という従業員を抱える多国籍企業を設立しようが、
全く関係ありません。寺院や教会に通っても、浜辺に座って
マルガリータを飲みながら、愛する人と美しい夕焼けを楽しんでも、
あるいは、アイスクリームを食べながら公園を歩いてもいいのです。

結局、どの道を選んでも、私たちにとっては正しい道であり、
これらの選択のどれも、他の選択より精神的に優れていたり、
劣っているということはありません。」

「私たちは、宇宙と一つであり、私たちの目的は、素晴らしい自分自身でいることです。」

「無限の自己以外には何もないとわかってから、
自分自身を進行中の完璧な作品だと考え始めました。
それは静止状態にあるのではなく、ダイナミックに変化しています。
非常に美しい一つのイメージから、次の美しいイメージへと変わる万華鏡のように、
常に完璧さを映し出しているのです。
これは、人生という旅の中で、明らかな間違いの中にも美しさを
見つけられることを意味します。
なぜなら、それらが私をさらに深い理解へと導いてくれると知っているからです。

私の目標は、自分を好きになり、心から信頼して、
すべてゆだねられるようになることです。
自分の完璧さを観察し始めたとき、外側の世界がそれを反映し始めたのに
気付きました。私は、自分にとって最善のものを引き寄せていたのです。
それはまた、宇宙のために私ができる最善のことでもありました。」

「かつて、私は一生懸命追い求めていました。
行動し、手に入れて、達成しなければならないと感じていました。
けれど、何かを追いかける行為は、恐れから生じているのです。
それは、自分が本当に望むものを持っていないという恐れです。
その状態では、漁師と獲物のような分離の状態にばかり注意が行ってしまい、
二元性の中で身動きができなくなるでしょう。
でも、今の私は、追いかけるのはやめ、ただありのままを受け入れています。

たとえば、人生で実現したい強い願望があるとき、それを必死で
追い求めようとすれば、宇宙エネルギーに対抗するだけだとわかりました。
そこに到達しようと努力すればするほど、私は間違ったことをしていると
実感するでしょう。ありのまま受け入れることは、努力を必要としません。
それは解放されるような感じです。なぜなら、すべては一つなので、
手に入れたいと思っているものはすでに自分のものだと知ることを意味するからです。」

「天国とは、特定の場所ではなく、存在の在り方なのだと理解し、
その至福感はこの世へ戻っても続いていました。
奇妙に聞こえるかもしれませんが、私たちの本当の家も、場所ではなく
一つのあり方にすぎないと感じています。
今この瞬間、私は我が家にいると感じています。
他の場所へ行きたいという気持ちはありません。
ここにいようが、向こう側の世界にいようが、私にとっては全く違いがないからです。
それは全て、私たちのより大きく拡大した、無限である素晴らしい自分の
異なる側面にすぎません。
私たちの本当の家は、一人一人の内側にあり、それは私たちが行くところ、
どこにでもついて来るのです。」

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喜びから人生を生きる!を読んで④

この数年ライフワークとして、一番大切にしていたことは、
「働きかける」、「呼びかける」、「伝える」ということだった。

でも、自分がやってきたことに、一体、何ほどの意味があったのか。

自分には、本当の意味で働きかけたり、伝えることなんて、きっとできなかったのだと
感じるようになっていた。

もうそういうことはやめたほうがいいのかもしれない、とも思っていた。

でも、時間が経過して落ち着いた今、
やはり、私は、高次から愛や喜びを受け取り、
受け取ったものを、さまざまなひらめきを通じて、いろいろな形に変え、
また誰かに伝えていくという、そのことが好きなのだと感じた。

私が、もっともわくわくした気持ちや、喜びを感じるのは、そのことなのだ。

そのことを通じて起こること自体が、私にとって、真の交流であり、
一つになることなのである。私が、純粋に喜びを感じるのは、そういうことなのである。

だだし、私は、きっと、どこかで順番を間違えたのだと思った。

まず、愛があって、喜びや幸せというものがあって、
それが伝わる作用として、働きかけが、起こるのだ。

愛や、喜びや幸せを作り出すために、働きかけがあるのではなかった。

アニータのこの本の中には、外側と内側の話が出てくる。

そのことが、自分にとって働きかけるとか、伝える、ということを
考える参考になったように思う。

「内側が外側に影響を与えるという見方は、自分の内なる導きを十分に
信頼することを意味します。それは、私の感じていることが、
私の宇宙全体に影響を及ぼすということです。

言い換えれば、私はクモの巣状の宇宙の中心にいるので、
全体に影響を与えているのです。ですから、もし私が幸せなら、宇宙も幸せです。
私が自分を愛していれば、他のみんなも私を愛するでしょう。
もし私が平和なら、全ての創造物が平和なのです。

それがわかってからは、状況が困難に思えたら、
それを物理的に変えようとするのではなく、まず自分の内側の世界を
調べるようになりました。ストレスや不安、惨めさを感じたら、
内側に入って、その感情と向き合いました。
気持ちが落ち着き、自分の中心を感じられるまで、一人で座ったり、
自然の中を歩いたり、音楽を聞いたりするのです。
そうすると、外側の世界も変わり始めて、何もしなくても障害物が消えていく
ということに気付きました。」

「より良い世界への鍵は、誰もが同じように自分自身を大切にして、
自分の進化を理解することなのです。
自分を批判するのをやめれば、自然に他人を非難する必要もなくなるでしょう。
そして、彼らの完璧さに気付き始めます。
宇宙は私たちの内側に存在しており、私たちが外側で体験するものは、
内側を映し出したものにすぎません。」

「外に出て物事を変えようとするのは、私が彼らを悪いと判断しており、
彼らのビジョンや考え方を修正する必要があるということだからです。
あらゆるものは、今この時点で、すでに本来あるべき姿であり、
自分の務めはただ存在することだとわかっています。

ここでの私の仕事は、自分自身でいることです。
つまり、愛の表現でいて、物質世界で生き続けながら、
自分や他人や周囲の世界の中に完璧さを見出すことです。
私たちに必要なのは、それだけなのです。」

「外の世界は、自分の内側にあるものの反映にすぎません。
私の人生の崩壊は、外側にばかり注意を向けていたこと、
いつも他人と比べていたこと、そのせいで起こった競争意識が原因でした。
わたしはかつて、全員にいきわたるほど十分にものはないのだと考えていて、
それが欲深さや競争心を招いたのです。

自分のユニークさや他人との違いを受け入れるのではなく、
他人にも自分と同じように考え、信じてもらおうとしていました。

このような感情は、宇宙が実際には無限であるにもかかわらず、
乏しく制限のあるものだと思っていたことから起こったのです。

宇宙は、私たちと同じだけ成長し、包み込むことが可能です。
どれほど拡大し、受け入れるかは私たち次第で、それは外側からではなく、
内側からなされなければなりません。」

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喜びから人生を生きる!を読んで③

アニータは、自分自身の声を聴き、それに従うことが大事だとも言っている。

「本当の喜びや幸せは、自分を愛し、自分の心に従い、ワクワクすることを
しているときに、見つけられるのです。
私の人生が方向性を失ったように思え、どうしてよいか途方に暮れるのは
(今でもよくあることです)、自分を見失っているからだとわかりました。
そういう時は、本当の自分、ここにやってきた目的とのつながりを見失って
しまっているのです。このことは、自分の内なる声に耳を傾けず、
テレビや新聞や薬品会社や仲間や文化的あるいは社会的な信じ込みなどに、
自分の力を渡してしまったときに起こりがちです。

以前は、迷うとまず外側に答えを見つけようとしました。
本や先生やグルに頼り、自分に答えを与えてほしいと望みました。
それは初めてがんの診断を受けたとき、まさに私がしたことでした。
でも、その結果、ますます方向性を見失なうことになっただけでした。
自分のパワーを他人に与えてしまったからです。」

「自分自身ではなく、宗教や医学、科学的研究や書籍、
他者といった外側のものに、答えを求めようとするのは残念なことです。
私たちは真実がどこかその辺りに、とらえどころのない形で存在すると思っています。
けれど、そのためにますます道に迷い、本当の自分から離れていってしまうのです。
私たちの中に、全宇宙が存在します。
私が求めている答えは、自分の中に存在し、あなたの求める答えも、
あなたの中に存在します。外部で起こっているように見えるあらゆることは、
私たちの中にあるスイッチを押して、自分を拡大し、
真の自分を思い出させるために起こっているのです。」

「臨死体験をするまで、私はいつも外側に導きを求めていました。
同僚や上司に承認を求めたり、他人から答えをもらおうとしていたのです。
自分にとって良い感じがするかどうかではなく、
他人の意見や教えに従っていました。恐れの気持ちから儀式を行い、
教えを守っていました。そこに、自分の知らない正しい情報が
きっとあると思ったのです。
これらの外側の声に耳を傾けてばかりいたために自分を見失ってしまったのだと、
臨死体験中に分かりました。

・・・最近は、確立されたどんな方法や教えにも従っていません。
事実、私にとっての最大の規則は、厳格かつ不変の規則など存在しないということです!
私はその時々、正しい感じがするものに注意を払っているだけです。
人生とはスピリチュアルな体験で、私は常に変化し、進化している存在なのです。

私たちが宇宙の生命力と一つであるエネルギーの存在なら、
誰かに自分のために決断してもらったり、どのようにして自分のエネルギーを
変えられるか教えてもらう必要はありません。
私たち全員がかけがえのない存在なので、万人に当てはまるような共通の規則を
作れる人はいないでしょう。
・・・個人的なスピリチュアルな道に従えば、自分自身の内なる存在の声に
耳を傾けながら、無限の自己と出会えるでしょう。」

「ただ自分の内なる導きに従えば、自分にとって正しいものと、
それを得るためにどんな方法を使ったらよいかが見つかるのです。
自分や他人を非難せず、自分が愛の中心にいると感じられれば、
私たちは正しい道にいるとわかります。
そして、無限の全体の中で本当の素晴らしさを認識できるでしょう。

たとえば、祈りは、困っている人に大きな慰めを与えると同時に、
自己発見の助けにもなります。それは、全ての重荷を手放すための方法なので、
健康や幸せにプラスの効果があるかもしれません。
その結果、祈った人たちは気持ちが軽くなって、明るい気分になり、
その人自身の幸せだけでなく、他のみんなの幸せにも役立つでしょう。
全ての存在はつながっているので、あなたが自分にもたらしたポジティブな変化は、
全体にも影響を与えるのです。

けれど私は、祈っている人が祈らない人よりも、自分の素晴らしさと
もっとつながっているとは思いません。私たちはみんな、自分の内側にある
無限の空間を理解するための自分なりの方法を持っていて、
ある人にとってはそれが祈りであるということだけです。

他の人にとっては、それが音楽だったり、美術だったり、自然の中にいることだったり、
知識やテクノロジーだったりするかもしれません。
その人に情熱や創造性や生きる目的を与えるものなら何でもよいのです。

言い換えれば、祈り自体が、他のものよりも私たちの素晴らしさに気付かせてくれる
というわけではないのです。むしろ、自分の内なる情熱とつながり、
禅のような性質を引き出して、自分の人生に意味や統一性を感じられる
生き方を選択するほうが大切でしょう。」

私はも、自分はまだ何もわかっていない、不完全な存在だと思っていた。
そんな自分の声を聴く価値などないと、どこかで思い、
だからこそ、自分より大きい、より完璧で、より絶対的と感じられるものに従わねばと、
思い込んできた。

でも、そうではなかったのだと、今は思う。

多分、意識の拡大も、全一絶対性も、
エゴなる自分、肉体、感情、知性、魂の自分があってこそ、
体験できるものなのである。

それらは、それを助けてくれる道具であり、また踏み台のような、
役割を果たしてくれるものだと、今では感じている。
それをいらないもののように、捨てなければならないぼろ布か何かのように、
扱ってはいけなかった。

そして、私たちは、自分を何であれ、他に明け渡してはいけないのだとも思う。
明け渡しがあるのは、
自分で自分を満たし、大切にし、愛した、その自分が、
全体性の中に飛び込んだとき、その自分が勝手になくなるのであり、
それが明け渡しであると、今はそう思っている。

そして、私たちが、それぞれに全てが一つである、ということを認識することを
目的の一つとして存在しているのならば、(私はそう考えている)
それをそうさせることができるのは、そこへ自分を持っていくことができるのは、
多分本人、その人だけなのだ。

誰も、その人の代わりに努力し、奮闘することはできないのだ。

そして、誰もが、それぞれにそれぞれあったやり方で、もうすでにそれをしているのだ。
そうしている、その途上なのだ。

そして、一つであるという理解に達すること、それだけが目的なのではなく、
その過程を、おのおのが、十分に味わい、気付き、体験すること自体も、
目的なのである。

私が今至った理解は、そのようなことである。

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喜びから人生を生きる!を読んで②

この本を読んで、多分一番びっくりしたのが、
アニータがエゴを肯定していることだった。

「スピリチュアルな道を歩んでいるほとんどの人は、
エゴがスピリチュアルな成長の邪魔をするので、
エゴを追い払うべきだと信じています。
あなたがそのように主張しないのはなぜですか。

もしエゴを否定すれば、それはもっと強く押し返してくるからです。
何かを拒絶すればするほど、それは生き残るためにもっと反撃してくるでしょう。
でも、無条件に自分のエゴを愛し、この人生で自分を表現するための一部だと
受け入れることができれば、もはやエゴは問題ではなくなります。

それはあなたの成長を邪魔するどころか、役に立ってくれるのです。
私たちはみんな、エゴを持って生まれてきます。
それは、この世での本当の自分の一部なのです。
死んだとき、私たちはエゴから完全に解放されますが、生きている間は、
エゴと闘うほど、自己批判に苦しむでしょう。
私たちが自分のエゴを無条件で愛したとき、はじめて他人のエゴも受け入れられるのです。
そうすれば、エゴはもはや問題ではなくなり、
あなたの謙虚さや素晴らしさが輝くようになるでしょう。」

「答えは案外シンプルで、自分に対する愛を持つということなのです。」

「愛の存在であるとは、自分の魂をはぐくみ、自分の欲求を満たし、
自分のことを後回しにしないことが大切だと気付くことです。」

アニータは、いわゆるネガティブな感情のことも否定しない。

「私は、自分と他人のためにできる最善のことは、意識的に自分をうきうきした
気分にさせて、幸せを感じることだと固く信じていますが、
プラス思考という考え方にはあまり賛成ではないと言えば、驚くかもしれません。
すべての生命はつながっているので、自分が上機嫌でいれば全体にも
大きい影響があるのは確かです。
でも、もしネガティブな考えが忍び込んで来たら、それを批判せずに受け入れて、
ただ自分の中を流れるのを許していれば、思考や感情は通り過ぎていくのです。
その結果、正しい道が自然に目の前に開かれ、
真の自分でいられるようになるでしょう。」

「自分自身についてどう感じているかが、人生の状況を決める上で
一番大切なことなのです。つまり、自分自身に正直でいることが、
ポジティブでいるよりもずっと重要です。私は、動揺することが起きた場合、
自分がネガティブな気持ちになるのを許しています。
なぜなら、本当の感情を封じ込めるよりも、体験するほうがはるかによいからです。
判断せずに、許すという行為は、まさに自分への愛の行為です。
自分に優しくするという行為は、楽天的なふりをしているよりも、
喜びに満ちた人生を創造する上で、ずっと役に立つでしょう。」

判断し、否定するのではなく、ありのままを受け入れる。

これは、ハートの生き方そのものでもあった。

私も、エゴをなくそうとしてきた。

感情も、特に、ネガティブな感情については、相手にしてこなかった気がする。
エゴの自分は偽物の自分であり、
自分のことは後回しにすべき、という考えから、
自分を愛するとか、大切にするとかいう、概念自体がありえなかった。

自分に対してそうするということは、
結局周囲に対しても、そうしてきてしまったのだと思う。

私は、ハートで生きるということを忘れかけていたのではないだろうか。

今は、そう思う。

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